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福本 邦重
パッシブハウス・ジャパン理事(2026年2月 理事に就任)
株式会社タナカホーム
PHI公認パッシブハウスコンサルタント
本年度よりパッシブハウス・ジャパンの理事に就任いたしました、宮崎県都城市で工務店を営む田中誉宗と申します。早期から日本におけるパッシブハウスの普及に努められてきたレジェンドとも言える、高岡理事、高橋理事の後任ということもあり、身の引き締まる思いです。パッシブハウスのさらなる普及をお約束するとともに、会員さまの更なる事業発展に繋がるよう精進して参る所存です。
初めてのニュースレターとなりますが、まずはこのたびの令和8年熊本地震、そして令和8年8月千葉豪雨により被災された皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
想いは、実る 「10年の積み上げ」
熊本の地震直後、隣県である私どもも支援に入りました。現地で耳にしたのは「10年経って、またか」という落胆の声です。前を向いて積み上げてきた歳月を、再び揺らされる。その無念を思うと、かける言葉が見つかりませんでした。一方で、建築に携わる者として注目した事実があります。10年前、町の家屋の98%が全壊・半壊・損壊という壊滅的な被害を受けた益城町。今回の地震で益城町を襲った揺れは震度6強でした。10年前であれば多くの家屋が損なわれた揺れです。しかし今回、倒壊した家屋はわずか2棟、亡くなられた方はゼロでした。
この10年、益城町は都市計画を刷新し、道路を拡げ、免震の役場を建て、そして何より、地震に強い住宅の建設を町を挙げて進めてきました。10年前の悲劇の中で得られた知見、耐震等級3の住宅がほぼ無被害だったという調査結果。設計の基準を見直し、その基準で再建された住宅たちが、10年後の同じ町で人と暮らしを守ったのです。想いは、実る。建築は災害の前で無力ではないという当たり前のことを、これほど雄弁に示せる事例は多くないでしょう。
暑さが突きつける現実
今回の地震には、もう一つの過酷な条件が重なりました。猛暑です。被災された方々が身を寄せた避難所の多くは学校の体育館ですが、熊本ではその8割が冷房を持たないと報じられました。全国でも公立小中学校の体育館の空調設置率は22.7%。そもそも断熱されていない大空間に、真夏、最も配慮を必要とする人々が集まる。台風による避難を毎年のように経験している九州ですが、この規模の被害で、多くの方が真夏に体育館等へ身を寄せる事態は前例が少なく、今回の状況は意外な問題への気づきに繋がりました。この構図をどう変えるか。世界に目を向ければ、ドイツ・フランクフルト市は2007年から市の新築公共建築物すべてをパッシブハウス基準とし、体育館も例外ではありません。英国エクセター市では、プールを備えたパッシブハウス基準のレジャーセンターが市民を迎えています。避難所となる公共建築こそ、真っ先に高性能であるべきではないでしょうか。
実らせるために必要な行動とは
益城町が示したのは、耐震という備えでした。ではその耐震性能に加えて、いま私たちがパッシブハウスからの学びと取り組みを通じて積み上げてきた断熱・気密、熱橋対策、換気、施工品質という性能は、災害の前で何ができるのか。答えのひとつは在宅避難だと考えています。停電しても室温が急に落ちない家。猛暑の中でもわずかなエネルギーで涼を保てる家。それは避難所に頼らず、自宅で命と尊厳を守るための器です。省エネのため、快適のためと語られてきた外皮性能は、実は防災インフラそのものなのです。災害のフェーズが上がった今、この事実はもっと多くの方に伝えなければならない重要な事だと感じています。
またパワフルな設備に頼り快適をつくる日本独特の慣習ではなく、建物躯体性能で外部からの影響をより小さくできる建築の器を私たちは正しく選択し、常に研鑽して行動に移しつづける必要があります。その器の筆頭が、パッシブハウスでしょう。私も宮崎の地で多くのパッシブハウスを建てていますが、そのポテンシャルを日々実感しています。
誰も置き去りにしないという、広義
森代表理事は春のニュースレターで、住まいの安全を「だれも置き去りにならない『優しい社会』」へつなげる願いを書かれました。私はそのバトンを、地方の実務の現場から受け取りたいと思います。それは、「性能の高い家を、自力では持てない人はどうするのか」という、広義で考える視点です。
私は今、鹿児島県のとある市と共に、公営住宅をパッシブハウスで建て替える公民連携の事業に挑戦しています。体育館も、公営住宅も、問いは同じです。公営住宅は、住まいの選択肢を最も持たない方々のための器です。そこにこそ、世界基準の温熱環境を届けたい。夏の夜、電気代をためらって熱中症になる高齢者のいない町。冬の朝、ヒートショックに怯えなくてよい浴室。温度は、快適の問題である前に、人権の問題だと私は考えています。耐震が公共の当たり前になったように、温熱もまた公共の当たり前になる。益城町の10年は、それが夢物語ではないことを教えてくれています。
建築専門の私たちは、何を学び、何を得て、何を築くか。今も昔も変わらない当然の姿勢ではありますが、実りある豊かな社会とは何かを常に模索する。そして、正しく恐れ、正しく学び、正しく挑む。この先に本当に必要な「実り」が待っているのではないか。そう感じずにはいられません。
被災された地域の皆さまが、少しずつでも前を向いて進まれ、一日も早い復興につながりますことを心より願っています。