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Meister’s Episode vol.02 「氷河期時代の北陸支部を牽引した二代目リーダー」

2023.12.11

北陸支部の二代目リーダーを務めた株式会社大庄の大竹靖さんに、代表の森みわがインタビュー。大竹さんがPHJに出会ったきっかけや、リーダー在任中の苦労、今後に向けたメッセージをお話しいただきました。

「信濃追分の家」にて2023年9月14日に収録。

森)大竹さんはPHJの本当に初期から応援してくださっていますね。まだ北陸エリアがあまり盛り上がっていなかった頃に北陸支部のリーダーをしてくださって。まだ高性能な建材が国内で入手しにくかった背景もあるし、とにかく冬の日射が少ないんですよね、北陸は。だからパッシブハウスは厳しいという状況の中で、ぐいぐい行く工務店さんがいなかった時代に、私が大竹さんにお声がけしたのでした。

大竹)北陸支部のリーダーになったきっかけは、秋葉原で行われた省エネ建築診断士の更新試験でした。会場の受付あたりで森さんに「ちょっと、ちょっと」と呼び止められて。「支部リーダーやってくれない?」と、いとも軽い感じで、口車に乗せられてしまったんですよ(笑)。

森)診断士の更新は5年に一度ですから、あの時に2回目の受講ということは、2010年の第一回目の診断士セミナーを受けていたということですね?それはすごい。あの記念すべき第一回のセミナーを受講した30数名のうちのおひとりなんですね。今や登録診断士は3380人にもなりましたからね。

大竹)そうそう、かなり早い認定番号をいただいてますよ。確か一桁です(笑)。

森)大竹さんの前の北陸支部リーダーも上野さん(上野住建株式会社)でしたから、すごく例外的に2代続けて建材メーカーさんとか流通店さんが支部リーダーをやるという、レアな地域でしたね。

大竹)あの頃は工務店や設計事務所で、パッシブハウスをバンバンやってる人がまだいなくて。

森)まだそこまで引っ張っていけるような方がいらっしゃらなかった。それで、大竹さんが適任だなって。今度着任された新リーダーの池田さん(株式会社池田組)は工務店さんで、積極的にパッシブハウスに挑んでいますが、そうなるまでの、いちばんしんどい氷河期みたいな時期を、大竹さんは引き受けてくださいました。

大竹さんは、省エネ建築診断士試験の最初期の合格者。(ID番号はなんと、00004番!)

―― 大竹さんはそもそもなぜパッシブハウスを?

森)ところでパッシブハウスに興味を持たれたきっかけは?

大竹)実は三十年ぐらい前まで遡るのですが、鎌田先生の新在来木造構法、いわゆる高断熱高気密住宅の話をある営業マンから紹介されたんです。まあ、今思えばスウェーデンの受け売りみたいな話だったんだけど、「すげえな!」と思って、そのうち絶対日本でもスタンダードになると感じたんです。だから、それを我々が会得して取引のある工務店さんに教えてあげたら、サッシや建材も買ってもらえるんじゃないかなと。
 そうこうしているうちに新住協(新木造住宅技術研究協議会)ができて、新潟支部ができたのですぐ入りました。

森)なるほど、本当に早かったんですね。

大竹)その頃新潟にも高断熱高気密住宅を手がけている工務店さんは何社かありましたので、見学させてもらったり。新住協で勉強したネタを工務店さんに教えてあげて、「すごいでしょう、うちの会社と付き合うとこんなにいいことあるんだから、サッシや建材買ってください」っていうことをずっとやってました(笑)。
 それで、あるとき業界紙を読んでいたら、 パッシブハウスと森さんの名前が出てきて、記事の内容は忘れちゃいましたけども、「これはすごい!」と思って。新住協でやっている高断熱高気密住宅の、さらに先にあるものだなと。どうしてもお話を聞きたいと、メールを送ったり電話かけたり、ストーカーのようなことをして森さんにアタックしたんです(笑)。 そうして、横浜のホテルのラウンジかなんかで、コーヒー飲みながらお話させてもらいました。

森)横浜ベイシェラトン!ありましたね、そんなこと。鎌倉パッシブハウスが2009年8月の竣工で、たくさん取材を受けていたので、多分、その年の9月ぐらいに情報をキャッチされたんですね。

大竹)そこでいろんなお話を聞かせていただいた中で、「今度ドイツに行くんだけど、一緒に来ませんか?」って、突然。

森)それが2009年の 11月、私が主催した最初のヨーロッパ視察ツアーですね。PHJを登記したのが2010年の2月ですから、その数か月前ですね。あのツアーにはこれまでずっと国内の省エネ建築に対してアンテナを張っていた強者たちが集まってくれました。

当時のヨーロッパ視察ツアー参加者。大竹さんは前列中央。

大竹)ツアーに行くと、とにかく見るもの聞くもの本当にびっくりすることばかり。また一緒に行かれた方々のレベルが高くて、その方々と森さんの会話についていけませんでした。そういう刺激を受けて帰ってきたら、今度は「PHJをつくるから入りませんか」って言われて「入ります」と。

森)省エネ建築診断士の資格制度は、PHJの最初の独自コンテンツだったんですよ。一体どんな人たちが来るのかドキドキしながら、当時32歳だった私は大御所に馬鹿にされないようにマニアックなコンテンツを用意して(笑)。そこに大竹さんもいらしていたとは。

初回ヨーロッパ視察ツアー参加後の大竹さんに、PHJ設立の主旨を伝え入会を打診した。

―― 建材も不足しなかなか広まらないなか、勉強を重ねた

森)大竹さんがリーダーになられた当時は建材も入手しづらくて、パッシブハウスを新潟で建てるなんて、本当に大変だったと思います。

大竹)新住協の頃でも全部輸入品でしたもん。吸気口の「パッコン」なんていう、紐を引っ張るとパカッと開くめちゃめちゃアナログなものとか。中に入っているフィルターが質の悪いスポンジで、水で洗うとボロボロと粉みたいになってお客さんに怒られたりしました。
 でも、これからの住宅はこの方向に行くと思ったから、関連資材を売りたくて。売るためにはやっぱり精通してないとまずいじゃないですか。だから設計事務所もつくりました。性能表示制度が始まるときに、まわりの設計事務所を見ても誰もやりそうになかった。それなら、うちがやればこれまた儲かるんじゃないかと。ま、下心ありありで設計事務所をつくってスタッフも入れましたけど、自分自身も管理建築士にならなきゃと思い、日建学院に通って二級を取りました。

森)すごいフットワークですね。しかも初めて聞くお話です。

大竹)その頃から、住宅の性能に興味があったんですよ。そこへ森さんのお話だったからよく理解できたし、「これからはこっちだな」というのがはっきりわかり、ありがたかったんです。

森)日本の実情も分かっていながら、私の言っていることや私が持ち帰ったものに共感してくださる方って、すごくいい立ち回りをされるというか。私が日本の状況をわからずに帰国しても何もできなかったところで、国内事情との繋ぎというか橋渡しの方が何人かいらして、それが初期のリーダーさんたちだったのかなと感じています。

大竹)工務店さんに入ってくる情報って、インチキなのが多くて。例えばタイベックはお高いけど性能はいいですよね。でも、品質は疑わしくても安いものの方が、工務店さんにはウケがよくてバンバン売れていく、それが嫌で。

森)結局、担当の営業マンが持ってくるものしか、工務店さんにとっては判断材料がなくて。良さが説明できなければより安い方に流れていくっていうね。

大竹)我々がPHJや新住協で教えてもらったありがたい情報を工務店さんにお伝えしますよね。それを拒否する人もいるけど、受け入れてくれたとしても継続して商品を買ってくれない人が、けっこういるんです。手掛けてくれた人も、結局お金がかかるからと性能は初期のまま進化しないんですよね。

「これからの住宅はこの方向に行く」。関連資材の販売を担うため勉強を重ね、工務店に情報を提供。

―― 他支部とともに学んだ「コバンザメ商法」

森)大竹さんの支部運営でいちばん印象に残ってるのは、「コバンザメ商法」。北陸支部は始まったけれど、パッシブハウスレベルの完成物件がないから、なかなか勉強会ができなかった。それで大竹さんが思いついたんでしたね。

大竹)そうですね、東北支部や関東支部と一緒に勉強させてもらいました。

森)あれがなかなか良かったんですよ、結果的には。一応支部ごとに収支計画があるんですけど、北陸支部の収支が意外と良かったんですよね。

大竹)そうですね、けっこう儲けさせてもらいました(笑)。やっぱり関東支部なんかに行くとレベルが高いんですよ。飛び入で参加させてもらって刺激を受けて、じゃあ新潟でもっていう感じでやってました。ただ、やっぱり新潟は本格的にやってくださる方が、その当時はあまりいなかった。そこそこの高性能住宅は皆さんやってらっしゃるけど、会員さんに見せられるような、また皆さんが勉強になるようなレベルの高性能住宅はなかなか。やっぱりお金がかかりますから。

森)初めて取り組むときって、知識がない分ちょっとコストが上がりがちですよね。一度やってみたら落としどころが見つかって、だんだんこなれてくんだけど。そこに追い打ちをかけるように「パッシブハウスはやりすぎだ、儲からない、必要ない」みたいな言われ方を、同業他社からされてしまう風潮がある中で、大竹さんも悩みながら立ち回っていましたね。

大竹)とにかくパッシブハウスをやってみたかった。

パッシブハウスをやってみたいという情熱で、逆風の中、悩みながら支部を成長させた。

―― 縦に長い支部エリアで勉強会の設定に苦心

森)今では、新潟で進行中のパッシブハウスが3、4棟あって、すごいですよね。当時は想像もできないくらい。軽井沢を中心に長野が盛り上がっている中で、新潟勢が負けてたまるか!っていう感じで(笑)。競い合っているわけじゃなくて、いい感じで刺激しあって。信じられなくないですか、大竹さんの時代からは? だから、会員さんには知っていただきたいですね。その当初の悩みというか、苦しみっていうのはね。

大竹)PHJに入会してもあまり勉強会出てこない会員さんもいたりしましたね。

森)地理的に集まる場所が、なかなか難しくてね。

大竹)北陸は新潟、富山、石川、福井、そして長野でしょ。新潟から福井までって、すごく距離が長いんですよ。だから、勉強会の場所設定が難しくて、たまたま私も池田さんも新潟県だったんで、どうしても新潟での会合が増えた時期があったり。
 ここ数年は軽井沢がパッシブハウスの聖地みたいになってきて、軽井沢でやり始めた。そしたら北陸支部の方がけっこう見に来てくださって。それで刺激を受けて、自分もって考えられた方もいらっしゃるでしょうね。

森)同じ地域にできると、「あ、できるんだ!自分もやってみよう」ってなりますよね。

入会してもアクティブでない会員へのはたらきかけに心を砕いた。

森)最後に大竹さんから、会員へのメッセージをお願いします。

大竹)前にも言いましたが、私はサッシ・建材の販売店で、建築のプロではありません。そういう私が北陸支部のリーダーだったわけですから、会員の皆さんには「物足りない、頼りない」とご不満をもたれた方も多かったのではないかと思います。その点について、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
 またコロナ禍で、2年以上リアルでの勉強会ができなかったことも残念でした。
新しいリーダーは、バリバリの建築のプロである池田さんですし、サブリーダーもパッシブハウスの経験豊富な木下さん(木下建工株式会社)、もう一人のサブリーダーは言わずと知れた裏方のプロ高森さん(株式会社シーピーユー)ですので、他支部に負けない勉強会ができると確信しています。
これまで私を支え、指導して下さった北陸支部の皆さんや、PHJの皆さんには、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
昨年より会社の代表も息子に譲り、PHJの担当者も新社長である息子となりました。今後はおそらく、私がPHJの表舞台に顔を出すことはないと思いますが、旅行好きであちこち出没しますので、もしどこかで見かけたときは、お声をかけていただけけたら幸いです。

これからもPHJと北陸支部の益々の発展を願っております。皆さま本当にありがとうございました。


株式会社島田材木店

島田 恵一

株式会社島田材木店 代表取締役
一般社団法人パッシブハウス・ジャパン事務局長